終わりはいつ決まるのか?

自己限定

バスケットボールのワールドカップが沖縄で行われています。私もテレビで偶然見ることができました。途中、日本は点差で離され、これは勝てないなと思ってしまいました。史上、ヨーロッパの国に勝ったことがないとアナウンスされていましたのでなおさらです。

結果は、最終クォーターで見事な逆転勝ち。私は恥ずかしい気持ちになるとともに、次の言葉を思い出しました「自己限定をやめよ」。仏教の教えのひとつのようですが、要するに、自分で自分の限界を決めてはいけないということです。

自分のことは自分が一番よくわかっているつもりなのですが、実はそうではないですよね。確かに現時点ではそのとおりの力しかないかもしれない。けど、続けていれば未来の自分はいつブレイクするかわからない。

人間、あきらめるか死ぬまでは終わり(負け)ではないのです。終わりは自分で決めることができるのです。昔流行った、ビーバップハイスクールという漫画で、主人公のヒロシとトオルがめちゃくちゃ強い相手に喧嘩でボコボコにされながらも、負けを認めず、食らいついたために、相手があきれて自分の負けを認めたシーンが私の心に強く残っています。

面壁九年

人間、あきらめずに、続けているうちは、負けではなく、時間的に耐えることわざとして、石の上にも三年という言葉もありますが、私は仏教、達磨大師が好きなので、同じく面壁9年ということわざも好きです。達磨大師は9年間修業のために、壁面に向かって座禅をしたために、手足がなくなってしまったという言い伝えです。

いろいろな年数

私も振り返ってみると、いろいろな年数を耐えてきたことが思い出されます。
一番長いものは、税理士資格を取得するのに要した年数です。初めの簿記の勉強から数えると、10年以上かかりました。面壁9年を超えていますね。

最近ですと、ダイエットでしょうか。もう少しで目標数値に届きそうですが、初めてから、かれこれ2年になります。時間かかりすぎでしょうか?
後、トレードの勉強。はじめて、今年で5年になりますが、こちらはいまだにトータルの収支がマイナスのままです。

私の場合でも、このように、目標を達成するするための年数は定まりませんが、みなさんの年数は何年でしょうか?上述したように、将来の自分のことはわからないので、自己限定せず(あきらめず)、死ぬまで続けることがよいのでしょうが、諦めが肝心という逆の意味をあらわすことわざもあります。

どのようなことでも裏表があり、見る角度によって違ってみえます。
なかなか、人生はわからないものですね。

 

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