衣食住足りて礼節を知る

衣食住足りて…

また北朝鮮が弾道ミサイルを発射したとのニュースが入ってきました。
当然のことながら、日本としては強く非難、抗議をするという立場を続けています。

どうしてこうなるのでしょうか?毎回、この手のニュースが報じられるたびに考えます。北朝鮮はこのミサイルを発射し続けることにより、幸せになれるのでしょうか?私は攻撃準備というよりも、自分たちの貧しさからくる苛立ちや周りに助けを求めるがゆえの悲痛な叫びのように思えます。

国際社会(西側、資本主義陣営)から見れば、無法者でしょうが、彼らは貧しく、衣食住が足りていないのです。ことわざどおり、礼節を知ることができないのではないでしょうか?

 

金持ち喧嘩せず

ということで、彼らが貧しさから脱出できれば、礼節を知ることになりますので、このようなことはなくなってくるはずです。つまり、余裕がでてくるのです。同じようなことわざで、金持ち喧嘩せずというものがあると思います。

お金を持っている人は余裕があるので、喧嘩して自分が消耗するデメリットが、喧嘩せずに、自分の資産が多少減っても譲るデメリットを上回ることを知っているような気がします。だから私もお金に余裕がある人になって、余裕を持つことで幸せ追求の助けとしたいのです。

余裕がでると、自分の幸せだけでなく、他者の幸せを考えることができます。自分を犠牲にしても他人の幸せに貢献出来るのが、高貴で尊いのでしょうが、私は凡人であることを自覚しているので、まずは自分からと思っています。

 

立場変われば

このように、立場が変わればものの見方は全く違ってくるのだと思います。
北朝鮮は衣食住が足りていないから礼節を理解することができない、あの国の戦争はまだ終わっていないのです。日本は貧しさから抜け出したので、戦争は終わったと認識できるのです。

韓国の慰安婦、徴用工問題もそうではないでしょうか?貧しさから脱出し、余裕が持てれば、許せる。そうでなければ、こちらがいくら謝罪して賠償しても問題が収束することにはならないのです。

ちなみに、私は、外交問題も含めて、政治的な思想に全く興味はありません。
他者と議論するつもりもありませんので、そういうサークルに参加するつもりも当然ありません。幸せを追求するのにどうすればいいのか考えているだけです。

この立場の違い、よく言われる相手方の立場に立って考えるということが重要なのではないでしょうか?例えば、税務調査。こちらとしては、自分達の正当性を主張したい。でも調査する側(税務署)としては、相手の正当性を打ち破ることを目的としているのではない、課税の公平性が維持されればよいのです。

 

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