裸の王様は不幸か

仏教(教訓)

裸の王様の意味

アメリカのトランプ大統領の活躍?で耳にする教訓、ことわざで「裸の王様」があります。あらためて、意味を調べてみますと、

ウィキペディアでは、「身の回りに批判者や反対者がいない(あるいは我が強すぎて批判・反対を自分にとって都合よく解釈する。ときには権力を利用して批判者・反対者邪魔者扱いして粛清することすらある)ため、本当の自分(の実力)がわかっていない人を揶揄するために用いられる」。とあります。

ただ、裸の王様では、最後に子どもが「王様は裸だ!」と真実?を告げることにより物語が終わります。今までで私は恥ずかしい寓話だと思っていましたが、そうではないと思うようになりました。

裸で行進していても、周囲が歓喜して衣装を褒めていればそれが今の真実ではないのか?子どもが裸だと言っても、裸である王様が素晴らしいと歓喜しているのと同じではないのかと。

批判者や反対者は大事か

この寓話の意味は同じくウィキペディアでこのように書かれています

「正当な批判・反論すらも聞かずに猛進するため当人が破壊的な影響を及ぼすようになり、いずれ必ず当人も組織も大きなダメージを受けるため、組織人として見た場合には非常に有害な人物になる」

ここでのポイントは「組織」としてみた場合です。裏を返せば、個人として通用するのならば問題はないのではないかと。王様ですから「国」という組織で考えた場合、いずれ有害になるということです。

最後に報いを受けるのは自分

個人として考えた場合、自分が裸であっても、行進を続けることができれば問題はないと思います。それが真実。周囲の目、評価を気にしすぎることなく、行進を続けることにフォーカスする。

行進ができなくなってしまう報いを受けるのは自分なので、そうならない程度に批判や反対を受け入れる。そんなスタンスでいたいと思っています。

タイトルとURLをコピーしました