リスクとは
リスクとは一般的には危険という意味でとらえられますが、その一方で、投資の世界ではリターンの大きさを指すようです。つまり、リスクが大きいということはリターン(利益)も大きいということになります。
我々にとって(少なくとも私は)、一般的に一番避けたい危険という意味でのリスクは、自動車の運転を主とした交通であると考えています。何トンという鋼の塊が時速数十キロで飛び交う世界だからです。
そしてそれを操る人々。一応、免許制ということにはなっておりますが、多分、取得者がもっとも多い免許で、どんな人が操っているかは全くわかりません。よって私は極力、運転者を信用しないよう心掛けています(時には自分も)。
そうすると、時間を惜しんだり、自分の正当性をつらぬくことの愚かさを再認識しなければいけないこととなります。そこでリスクをとるべきではない。リターンがまったく見合わないのです。
事故に巻きこまれた時の時間的、身体的、経済的、精神的損失ははかりしれません。現下の日本で生きていく上でこれ以上危険なことはないと思います。逆にいえば、今日本の現状はそれくらい恵まれているのです。
でも、事故になった時の時間的、身体的、経済的、精神的損失よりも現在のマイナスのほうが大きい人もいるかもしれません。極端な話、刑務所へ行ったほうが快適だと考える人とか。
そうすると、私の交通上の振る舞いは、とにかく、逃げる、避けるです。
因果論
では、とってもよいリスクはなにか?代表的なものは金融資産への投資でしょう。リスクをとるということは、リターンを求めるということです。人間、誰しも自分が傷つくことは避けたいので、リスクをとっても損失をするイメージはしないものです。
ですので、こういう状況(原因)になったらこうして(買って)、そうすれば儲かる(はず)という結果に結びつけたがる(過信)ものです。そうでないと不安になりますから。でも、現実はそうならないことも多いのです。
過去の経緯からこうなるというのは、人類が生き延びてきた歴史上、必須の考え方なのでしょうが、またこれも確率という問題が生じてきます。すごい長い目でみれば、私の好きな仏教用語、因果応報なのでしょうが。
確率と収束
普段は因果論で確率が0%でなければ、それを採用するのがよい(物影で音がしたらまず逃げろ。結果獲物であっても)。ですが、確率を考慮して、リスク(リターンを求める)をとらないといけない場合もある。
だだし、確率は収束するまでに試行回数が必要なので何回も試す必要があることを理解しなければなりません。大谷選手も約10回打てば必ず、3回ヒットを打てるわけではなく、600回以上打って、200本弱ヒットを打てたということなのです。