バイクの騒音と公然わいせつ罪

どっちが罪深いのか?

「路上で下半身を露出したとして、公然わいせつの疑いで逮捕されました。」毎日のように目にするニュースです。私はこの類のニュースを見るだびに、いつも思うことがあります。これは確かに犯罪だとは思うけど、この露出によって受ける被害と、毎日というか、それ以上に、必要のない爆音をとどろかせて走っていく、バイクの騒音とどっちが罪深いのか?

露出は目にしないとわからないので被害者は限られるけど、騒音は広く耳に入るので被害者ははるかに多いはず。主観的な問題?とはいえ、なぜ露出した人だけが逮捕されて、爆音をとどろかせる人が何のおとがめもないのでしょうか?

過激に言うと、下半身を露出する人、バイクで爆音で走る人はともに自慰行為を公然とやっているということです。最近では公園や幼稚園、保育園で遊ぶ子どもの声がうるさいと苦情を言う人がいるというのに、バイクの爆音はなぜ問題にならないのでしょうか。

業務上過失致死傷罪と詐欺罪

刑事罰についても、私はよく、疑問に思うことがあります。最近こそ、件数は減りましたが、交通事故で亡くなる方が後をたちません。業務上過失致死であれなんであれ、殺人であるこという事実に変わりがないはずです。

ですが、量刑は5年以下の懲役。これに対して、例えば、詐欺罪は10年以下の懲役。結果、刑罰をみると、人を殺すほうが、人をだますことより、罪が軽いということもあるのです。財産を取られるより命をとられるほうがまし?ということでしょうか?

 

どのように対応するのか?

今回、ここで私が言いたいことは、単に世の中の不条理を感じて愚痴をいうことではありません。では、どうしたらよいのか。心の持ちようとでもいうのでしょうか?

まず、バイクの騒音。無になること。自分で変えれることは変えるよう努力すればよいのですが、変えれないことは、何も考えず、ただスルーすること。
公然わいせつで下半身を露出した人をみてしまったと同じだと考えます。腹を立てて、今回のように文句を言ってもなにもなりません。

不条理な交通事故。これについては、遭遇しないよう、徹底的に逃げるようにすることです。詐欺罪で金銭をとられたり、気持ちを傷つけれれても、命があればリカバリーできます。周りを信用せず、常に加害されると思って、逃げる準備をしておくということです。

私の心構えとして、原田隆史先生のおっしゃる、「主体変容」と私が考えた、念仏、「他者不変、空回避無念切」です。
他者は変えることができないので、頭の中を空にして、何も考えず、ただその場から逃げて、切り捨てる。

 

 

 

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