地位財とは
幸せについて考える時、超富裕層である金森重樹さんのコラムが大変参考になりました。その中で、地位財と非地位財という言葉が出てくるのですが、これは経済学者で米国コーネル大学教授のロバート・フランク氏の定義のようです。
以下はフィデリティ証券のコラム「モノ消費とコト消費、どちらが幸せ」2023/05/31 からの引用です。
ほかとの比較で満足感が得られる財(モノ)を「地位財」、まわりと比較しなくても満足感が得られる財(コト、経験)を「非地位財」と定義しました。地位財はお金そのもの、社会的地位、モノ(クルマなど)が該当します。非地位財は健康、自主性、自由、愛情などです。
ここにあるように、地位財の代表的なものはお金、社会的地位(名声)、車となります。私も以前はこれらのものにこだわっていました。ただ、過去に私がはまったブラック企業の代表者がまさにこれらに強く執着しておりました。
本当に、醜く、負け惜しみとも言われてもかまわないのですが、まさに「自己顕示欲の塊の守銭奴」という表現がぴったりでした。地位財は他者比較によって成立するので、上には上がいる、際限がなく虚しいと思うのです。
確かに自分もお金は好きですし、大事だとは思います。でもそれは自分の選択肢(自由度)を広げるためで、他人と比較しても仕方がありません。自分がその選択肢を持てる程度のお金で十分なのです。
ある程度、他人の目を気にすることは必要かもしれませんが、気にしないと、本当に楽です。SNSとかに投稿し、他人の評価に一喜一憂することが信じられませんし、そうしなくとも済む生き方を続けたいと思います。
そう考えると、欲がなく十分と思える人が幸せであるとも言えます。
唯我足知
非地位財
非地位財は健康、自主性、自由、愛情などです。非地位財による幸せは長続きするということらしいですが、これらは他人との比較が意味のないものだということが重要ではないかと思います。
現在の日本においては、ほどんどが気軽にお医者さんに診てもらえるし、誰と恋愛しようと、どんな職業を選ぼうと自由です。世界では非地位財も保障されない人もたくさんいます。感謝、謙虚ですね。
幸せとはなにか
自分なりに自分にとっての幸せを定義してみました。
①余裕があること。余裕がないと間違いを犯しやすくなりますし、他人に優しくなれません(少なくとも私は器量が狭いので)。
②休暇がとれること。休んでいると無条件に幸せになれます。
③会話ができること。日々家族や親しい人と会話できることも幸せを感じることができます。
④世の中は確率であることを理解できること。いいこともわるいことも必ずおきると思っていれば、得意淡然、失意泰然で心の平静が保てます。
⑤健康であること。言うまでもありません。「元気があればなんでもできる」
⑥成功すること。トライアンドエラーを繰り返し、少しづつ負荷をかけながら成長を実感することができます。