情けは人の為ならず

ゆずる

最近、自動車の運転をしていて余裕を持てているせいか、以前より道をゆずることが増えてきた感じがします。でもこれは、良いことをしたという感覚ではなく、むしろ自分のため、自己防衛だと思っています。

平和で、一般には銃の所持が認められない日本では、自動車を運転することが最大の武器で危険なことであるという認識を持っています。トン単位の鉄のかたまりを時速100kmで動かすことができるのです。

ましてや操作しているのはどんな人間かわかりません。自分と同じ価値観を持っていると考えるのは非常に危険です。どんなところで危険な目に遭うかわからないので、できるだけ道を譲る、場合によっては逃げるという運転をしているのです。

これは車の運転に限りませんね。どんなところでも他人は不変。その場の法律的道徳的正しさにこだわらず、最小の労力で自分や家族を守ることを考えます。「逃げるが勝ち」

 

 

感謝を態度で示す。

ただ、道をゆずった際に、感謝の意を示されることがあります(車同士なので声が聞こえることはありませんが)。自分のためにやったことで、感謝されるためではありませんが、やっぱり感謝の意を示されるとうれしいものです。

そう考えると、自分も、別に言わなくともいい場面だと思っても、できるだけ感謝の意「ありがとうございます。」という言葉や態度で示すように意識しています。

それが自身の余裕につながり、相手の気持ちが和めば、その恩恵は自分に返ってくることもあります。

あいさつ

感謝の意を示すということと同様にあいさつにも意味があるなあと思います。
昔から、とにかく、あいさつをしっかりするように教えられてきましたが、ただ形式的、儀礼的に、ましてや知らない人にあいさつすることの意味がわからず、あまりしっかりとする習慣がなかったように思います。

ですが、あいさつはむしろ、知らない人にすることに意味があるように感じます。日本は民族がたくさんあるわけではないので、同質性とかなんとなく感じることができるのではないかと思います。

アメリカのように、人種のるつぼといわれる所では、どんな人間かわからないので、とにかく、私はあなたに敵対するつもりはないということを示すためにあいさつをすることが有効だと思うのです。

後は、元気よくあいさつし、声を出すことで「気」を発するというか、自分をアピールする第一歩と考えることです。まずはつかみとでもいうのでしょうか?

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